HannahLee's blog

脱藩☆女子!〜海外で働いている日本人女子の赤裸々ワーク・アンド・ライフ

就職難民で国連へ

今から40年前、30年前に日本を出て、国際機関で働いて腕一本で出世して行った先輩女性達。そんな彼女達に、どうして国連で働くようになったんですか、と聞いたら、「私、就職難民だったのよ」の答え。日本で就職活動しようにも、就職試験では一番でも面接で「女は採らないから」。普通に仕事をしたいと思った女の人たちが亡命してたどり着いた先が、コクレンでした。昔から、普通に仕事をしたいと思って難民化した日本女子の、難民救済装置だったんですね、コクレン。

その就職難民女子@国連、時代によっていろいろです。「国連女子、進化の過程」として、自分の身の回りで観察した感じを、きわめて主観的にまとめてみましたよ。

 

第一世代:戦後、日本が世界に羽ばたこうという時代に先駆けて海外留学などするも、国内では受け皿がなく亡命した世代。今の時代にはあり得ないような超エリートバックグラウンドも入れば、腕一本で上まで行った人も。年齢もあるが、組織の上層部に腕一本でたどり着いた豪傑たちが多い。また、一ドル360円時代に国連勤務を開始したため、その財力も後の世代とは比べ物にならない。ただ、国際機関があまりに日本の世間と遠い時代だったからか、彼女達の活躍が日本で知られることはまだあまりない。(60代)

第二世代:緒方貞子さんがUNHCRのトップになるなどし、国連職員というのが世間に知られ始めた時代に国連に新人で入った世代。ちまたに流布する、「帰国子女でキラキラ系」な国際機関女子のイメージにぴったりはまる世代でもある。父親が外交官、商社などで、幼少から海外で過ごして、大学からストレートで海外の大学院へ(親のお金で)行き、そのまま就職、というパターンが多かった。国連に来なかったら外資系金融、という、もう一つの亡命先もあった。(50代)

第三世代:バブル崩壊後の世代。フツーの家庭出身者多し。第二世代がストレートで新卒で国連に入ったのに反し、数年の日本での社会人経験を経て、日本で働くことの辛酸もなめてから転職して国連に亡命した女子が増えた。現在の中間管理職を担う世代。東日本大震災を機に日本との関わりを深めたもの、深めようとして絶望してまた海外に出たものと、日本との関係にも多様性がある世代。(30〜40代)

第四世代:不況が長引き、逆に内向き傾向が強まっている世代。海外脱出を試みる人たちは、東南アジアなどの日本より安く住める地域へ亡命を果たしている。また、本来なら国連に亡命してくるような女子は、大組織である国連よりも、起業や NGOなどでソーシャルな活動をしようとする傾向が強まって来ている。(20代)

 

と、まあ、時代時代にそれぞれ特徴はありますが、しかし、「本国日本の組織で働きづらい、というか働くチャンスすらない」ということは、各世代の女子にまたがり共通しているのかな、と。