HannahLee's blog

脱藩☆女子!〜海外で働いている日本人女子の赤裸々ワーク・アンド・ライフ

働くこと、働き方と、幸せになるということについて

日本に行くと、「働き方」というテーマによく当たる今日この頃。ユニクロの世界同一賃金導入など、「世界で仕事をすること」に関する話題も多い。グローバル人材というワードも日々飛び交っている。ずっと海外で暮らして専門職で働いて来た中で思ったことを、まとめてみましたよ。参考になるかな。

 

  世界同一賃金…物事はそんなに単純か?

 

新聞記事では詳しいことは分からなかったのですが、要は世界のいろいろな勤務地でも、能力と成果に応じて払うお給料は同じ、ということでしょうか。だとすると、任地間での物価の差は支払う賃金に反映させるんでしょうか、どうなんでしょう。同じ手取りでも、ハノイで生活費を差し引いて残るお金が40万円の一方、物価が高い東京では10万円、なんてことになることは、容易に想像できます。


じゃあ、既に50年以上、場合によっては10年近く、グローバルに活動を展開している国際機関では、一体どうなっているんでしょう?
 

国際機関ではランクに応じて給与は世界同一(そして給与自体は実はそんなに高くない)。だけど、給与プラス、スタッフアジャストメントと呼ばれる、任地ごとに生活費、物価を考慮してパーセンテージとして算出され、そのパーセンテージと給与をかけたものが、給与に上乗せされる。だから、物価の高いジュネーブから昇進して物価の安いバンコクに移って来て、月給だけ見たら下がっている、ということがあり得ます。

 

それから、貨幣換算されない従業員への負担、というのはどうなのだろう。ユニクロの場合はある程度安全な場所での勤務だからあまり問題ないのかもしれないけれど、国際機関だと、紛争地での勤務もあるわけで、その場合は危険地手当が支給されます。例えば、NYの経理の職員と、任務中や日常生活で危険にさらされる可能性が高いキンシャサにいる経理の職員に、同じ業務だから賃金は同じ、と言っても、不公平感が募ります。

 

グローバルに事業を展開するとなると、支払う賃金だけでなく、従業員が負担する生活費も含めた身の回りの環境など十分に考慮する必要があるわけで、そこを看過して、賃金の上だけで平等にする、というのは、あまり平等ではないのではないかなあ、というのが、直感的に思ったことです。

 

  専門能力が生かされたジョブ型労働市場の整備…でも、働く方からすると結構キツかったりします

 

従来の日本の人事文化は、一つの会社、組織に永久就職した社員、即ちメンバーとして属するメンバーシップ型でした。一方、今後は、職(ジョブ)に属し働いていく、という、ジョブ型の労働市場を拡充して行こう、ということが、産業競争力会議の雇用改革の提案の(一部の)、ごくごくざっくりした内容のよう。

 

このジョブ型でここ数十年人事制度を動かしているのが、国際機関です。国際機関ではJob Description(業務内容を詳細に書いた文書)に基づいて職・ポストがオープンになり、そこに応募して試験を受け、合格したら採用となります。そして現在、多くの国際機関で、大半の職員がこのジョブ型に当てはまります。(当てはまらないのは、日本の国家公務員試験に当たる試験を受けた、ごく少数の実質永久雇用の権利を持つ職員だけで、彼らはメンバーシップ型に属すると言えます。)

 

日本が「組織に属す」ことを第一義とするメンバーシップ的人事文化である一方で、国際機関は、人は職を軸に異なる組織を横断的に異動する、という、ジョブ型が強い人事文化なのです。この2つの人事文化は、当然のごとくかなり違います。例えば、国際機関に日本人が就職する方法の一つに、JPO制度というのがあります。外務省が選考した日本人の若手が国際機関に派遣され、約2年間の丁稚奉公をしつつ、派遣された機関、もしくは他の機関で居残りをかける、という制度です。この際、日本の外務省、人事の担当の方は、職種でなく、どの組織を希望するのかを第一に考慮するのですが、それだと、かえって職員として居残る可能性の芽をつんでしまうことになりかねません。(ITという職種に注目していれば、組織がユネスコでもユニセフでも職がある可能性がある訳で、組織をまたいで就職することができます。)

 

そして、どちらか一方しか経験していない人、特に組織から人材育成なり昇進のバックアップが自動的に望めたメンバーシップ型になじんだ人(=これまでの大半の日本人)には、ジョブ型の労働市場環境はとてもキツいと思います。

 

何故こういうことを言うかというと、日本的に言うところの「能力の高い人」が、国際機関にやってくるも、日本的人事文化の発想から抜けきれず、能力を発揮しきれず(発揮できる能力を持っている人が、メンバーシップ型の環境出身の人には少ないのですが)、フラストレーションを溜め去って行くという例を、数多く見て来たからです。専門能力を高めたり、専門能力を持つ人材育成を行うことが必要なのは勿論です。しかし、「ジョブ型の労働市場環境とはどういう文化、どういうゲームのルールで成り立っているのか」を理解できないと、持続する雇用には繋がって行きづらいように思います。現に、国際機関では、そうです。

 

③ジョブ型、能力重視の労働市場…幸せってなんだっけ?

 

また、ジョブ型の労働市場環境は、得てして労働者本人の物理的移動も多くなることが予想できます。会社・組織に属するのではなく、職に属するわけですから。例えば、ソウルでAという会社の契約が終わった、次もまた自分の専門性を生かして転職に成功した、転職先はリオデジャネイロのB社だ、というように。

 

この場合、パートナー、家族も、本人と一緒に移動する選択に迫られます。大抵は、一緒に新しい任地へ同行することを選ぶでしょう。その場合、パートナーの仕事、子供の教育、親の介護はどうなるのでしょう。こういう、労働者個人の仕事以外のことにも、ジョブ型は大きな影響をもたらします。

 

ジョブ型文化の長い国際機関の職員の間では、まさにこのような「生活」「人生」の問題が、もう何十年も、課題として語られています。国際機関職員が公の場で話す場合、このような話題はまず出てきませんが(特に日本人相手の場合。日本人職員を増やさなければならないので、都合の悪いところは言いません)、二次会、三次会に行ってみたら、こういう話ばかりです。

 

それでも国際機関の場合は産休、育休(男性にも認められます、同性のカップルの場合も)、子供への教育費援助など、福利厚生がしっかりしているので、まだまだ恵まれている方でしょう。しかし、先のユニクロの例でもそうですが、こうした、家族の生活、福利厚生等、「仕事」の「業務」以外の側面にも綿密な、血の通った考慮をしなければ、上辺だけのジョブ型労働市場拡充は、「お給料はもらえるけれど不幸せな労働者」をいたずらにふやすだけだと思います。

 

また、ジョブ型の場合、専門性を確立するのには時間がかかる、ということも、十分に考慮に入れる必要があります。大学、大学院を卒業し、専門性を磨くのに20代後半、30代前半を費やした場合…これまで多くの国際機関勤務の、特に女性が陥って来たのは、「パートナーを見つけている暇がなかった」もしくは「仕事で移動する間に、いたパートナーもいなくなった」(もしくは「元カレ・元旦那の数=任地を変わった回数プラスα」)という状況です。育休、産休制度が充実していたとしても、まず家族を作るパートナーがいないことには、そんな「働く女性を支援する」制度はあまり意味がありません。既に家族がいる同僚がこうした制度を活用して時短勤務をすることで生じた残務処理を肩代わりしているのは、多くの場合、独身女性だったり、します。(産休はあってもデート休暇はありません。)

 

ですので、今後ジョブ型を拡充するのであれば、労働市場に本格参入する以前から、ライフスタイルとしてのジョブ型とはどういうものなのか、十分に周知する必要があると思います(そして今の日本社会では、そういうライフスタイルを選ばない若い女性が多いのではないかと予想します)。

 

  能力重視、グローバル人材…日本人、一抹の不安

 

果たして、日本人の人材は今後世界を股にかけてグローバルに活躍できるのでしょうか。

 

もちろん、世界最高レベルの技を持っている職人さん、技術者さん、沢山いらっしゃいます。私が危惧しているのは、いわゆる日本で言うところの一流大学、大企業出身の、そう、これまでメンバーシップ型でエリートとして社会で生きて来た方々です。確かに、日本社会では、そのメンバーシップ性「ゆえ」にエリートであり得たし、高賃金も確保されて来た。でも、彼らがグローバルな労働市場に移って来たら…結果は、結構悲惨かもしれません。

 

私も、日本のいわゆるエリートな方々と、同僚、もしくは上司という立場でお仕事させていただきました。個人差は勿論あるのですが、あえて乱暴にまとめると、「ああ、この人は今まで組織に守ってもらって来たんだなあ」という感じがするのです。本人の脳みそを使って「とんち」をひねり出すとか、状況に応じて気をきかせて仕事をする、ということが、一切なかったり、します。(そういえばイギリスの「エリート」も、結構使えません。かの国も、身分社会というメンバーシップ的社会なのでしょうか。)

 

かつ、英語でのコミュニケーションが難しいことが多く、人件費は高くつく…。国際機関だと、いろんな国からある程度以上の能力を備えた若くてハングリーな人達がわんさか、無給でもいいから使ってくれ(「そしてそのうちチャンスを掴んで居残ってやるから」)とやって来ます。そして、こちらのかゆいところに手が届くような仕事をしてくれたりするのです(「売り込み」、です)。やはり、そういう中だとどうしても、コミュニケーションのレベルでもたつき手取り足取りでないと使えない日本人より、もっと安くてかつ即戦力になる人を使おう、となってしまいます。一言で言うなら、労働市場において、国際競争力がある日本出身の人が、とても少ないのです。(だから国際機関がより優れている、ということではありません。文化やゲームのルールが違うのだ、というだけの話です。)

 

……と書いて来ると、ブルーになりそうですね。しかし、労働や雇用に関わる組織で働いている者として、また、自分自身、今の日本が10、20年後に見据えている雇用形態でここ10年以上働いて来た身として、感じるままをメモしておいた方がいいんではないかな、と思って、思い切って書いてみました。

 

私自身は、専門性を軸とした、場所や組織にとらわれない働き方・生き方として、今のような「ジョブ型」の方向を、20代の初めで選択しました。当時は勿論、そんな言葉は知りませんでしたが。(というか知ったのはつい1ヶ月ほど前です。)大学生だった当時、友人に、「リスクには二つあると思う。一つは安定することで生じる組織内や人間関係の煩わしさや、飽きるということ。もう一つは、不安定かもしれないが、飽きず、そして自由であり続けられること。私は、後者のリスクの方が、扱いが得意だから、そちらを選択する。」というようなことを、言った覚えがあります。今も、当時の自分の判断は正しかったと確信しています。キツくなかったかと言われればキツかったりもするのですが、筋トレみたいなもので、人生というウルトラマラソンを走るのに、ちょうどいい刺激を自分に入れられるのかも、しれません。(しっかりした完全休養が必要なのも同じですね。)

 

何はともあれ、自分も含め、今働いている人、これから働く人に、ずっと、うんと幸せになってもらいたいと思います。

戒厳令なぞどこ吹く風 Despite Martial Law

朝起きたら戒厳令が出てた。だけど、昨日注文したソファーはちゃんと午前中に届いた。優秀〜。今までは、家具なんかに凝りだすと決まって転勤になってたものだけど、今回からはそうじゃないことを祈る。

A brand new sofa arrived home today without any delay despite Martial Law imposed since this morning. It's been the case that whenever I buy good quality furniture I soon get to transfered to a new duty station. I hope this sofa will be the first case to break the pattern. Fingers crossed! 

Live life with some gusto. 自分に、みんなに、楽しく明るく幸せな人生を。

Hello! I am Hannah Lee. I am trotting around the world, just like a bee busy flying between flowers collecting honey. I am going to jot down some of the stuff/honey I see, feel and think about. At least that is the plan. Let's see. Live life with some gusto! 

ハンナ・リーです。世界のあちこちで暮らしています。いろんな国をミツバチのように飛び回り、見たり感じたり考えたり。そんなことをしては、ネタ=はちみつを収集する日々です。